研究内容
当研究室では、体の生理変化に伴う臓器リモデリング機構について研究を行っています。
妊娠・老化などのライフコースで起こる生理変化に応じて、血管/神経/免疫/間質/上皮細胞などの異種細胞間ネットワークが、組織内のメカノフィールドや液性因子と連携して組織・臓器を再編成する仕組みとその生理機能について解析しています。母体の臓器リモデリングと胎子発生の連関機構の解明や、生体に備わる生理的な臓器リモデリング機構を利用した再生医療・アンチエイジング技術・治療法の開発を目指しています。
研究項目:
- 妊娠における母体臓器リモデリングと母胎連関
- 老化における臓器エイジング
- 生理的臓器リモデリングを利用した再生医療・アンチエイジング技術の開発
- 呼吸器疾患における細胞運命転換制御
1.妊娠における母体臓器リモデリングと母胎連関
<娠期における母体皮膚リモデリング>
妊娠期には、脳、肝臓、心臓、胸腺、乳腺など母体の様々な臓器が形態と機能を変化させます。このような母体臓器リモデリング機構は、妊娠の成立、妊娠期特有の代謝機能の獲得、胎子の発生・成育を支える母体機能に必須ですが、各臓器を構成する細胞の時空間制御機構、細胞不均一性と階層性、多種細胞間の相互作用、母体-胎子連関など、細胞・発生生物学的アプローチに基づく母体機能研究は立ち遅れています。近年、妊娠期には、神経幹細胞、乳腺幹細胞、造血幹細胞などの組織幹細胞の増殖・分化が亢進することが報告され、組織幹細胞を基軸とした臓器リモデリング機構の存在が明らかになってきました。当研究室では、妊娠期に急速に拡張する母体の腹部皮膚において、表皮幹細胞から増殖性の高いTbx3陽性の基底細胞が産生されることを見出しました。この細胞群の出現は真皮細胞が分泌する液性シグナルに依存することを報告しました(Ichijo et al., Nat Commun. 2017)。また、妊娠期には腹部皮膚において体表血管が増加し、血管に依存的してTbx3陽性基底細胞が出現し、出産後には血管が退縮するとともにTbx3陽性基底細胞が分化して表皮から排出されることが分かりました。また、足底部表皮のように、表皮が厚く新陳代謝の高い体表領域では体表血管が発達しており、Tbx3+基底細胞が幹細胞として恒常的に維持されていました。このことから、血管が真皮と表皮のリモデリングを誘導し、生理変化や体表領域に合わせた皮膚の伸展や新陳代謝を制御していることが明らかとなりました(Ichijo et al., Sci. Adv. 2021)。現在、血管と力場による皮膚リモデリング機構、ならびに母体皮膚リモデリングと胎児発生の関連について研究を進めています。
<妊娠期における母体肝臓リモデリング>
妊娠期には、母体の肝臓が肥大化することが知られています。この肥大化には、肝実質細胞である肝細胞の増殖と細胞サイズの拡張が伴います。当研究室では、妊娠期の肝臓リモデリングを担う、肝細胞と非肝実質細胞の連携機構について研究を進めています。これまでに、肝臓の胆管上皮細胞が妊娠初期に一過的に増殖し自己複製すること、この増殖はYAP依存的であり、YAPの機能を阻害すると妊娠初期における肝臓の肥大化が抑制されることを見出しました(Koduki et. al., Genes Cells 2021)。また、肝細胞の増殖は妊娠の進行に伴い時空間的に変化し、妊娠中期では門脈域、妊娠後期では中心静脈域の肝細胞が特異的に増殖することを見出しました。さらに、妊娠中期で起こる門脈域の肝細胞増殖が母体の高血糖を抑制し、胎子の肥大化を回避することを明らかにしました(Kozuki et. al., Commun Biol 2023)。現在、母体肝臓リモデリングにおける非肝実質細胞の役割ならびに、多臓器連関、母体-胎子連関について研究を進めています。
2.老化における臓器エイジング
老化と肥満における皮膚の変性機構について、組織幹細胞、メカノバイオロジー、慢性炎症の観点から研究を行っています。表皮幹細胞は加齢によって機能が低下し、ヘミデスモソームを介した基底膜との接着が弱くなり、細胞分裂の方向性も異常になることが知られています。この表皮幹細胞の加齢変容は、酸化ストレスなどによって生じるDNA損傷など細胞内部の変化が要因であることが報告されていました。しかし、表皮幹細胞を取りまく周囲の環境の加齢変化やそれが表皮幹細胞に及ぼす影響については未解明でした。当研究室では、加齢に伴う真皮の硬化が表皮幹細胞におけるメカノセンサーPiezo1の長期活性化を誘発し、これが原因となって表皮幹細胞の早期分化とヘミデスモソームの脆弱化が引き起こされることを見出しました。また、加齢に伴う真皮の硬化は体表血管の減少に起因しており、血管減少を誘導する液性因子として、線維芽細胞から分泌されるPtx3を同定しました(Ichijo et. al., Nature Aging 2022)。Ptx3はマウスだけではなく高齢者の皮膚でも蓄積しているため、ヒトの皮膚老化の原因の1つとなっている可能性があります。Ptx3や血管を標的としたシーズ開発を実施することで、老化による創傷治癒遅延を回復させる技術や医薬品の開発につながることが期待されます。
3.生理的臓器リモデリングを利用した再生医療・アンチエイジング技術の開発
妊娠期における組織幹細胞の挙動は、損傷応答時や胎生期における幹細胞の挙動との共通性が認められます。妊娠の腹部皮膚表皮で発見された増殖性の高いTbx3+基底細胞は、発生過程の胎児皮膚表皮にも多く存在します(Ichijo et. al., Genes Cells 2017)。また、創傷治癒時にもTbx3+基底細胞は出現し、表皮特異的にTbx3をノックアウトすると創傷治癒が遅延し、真皮からの分泌因子の塗布によりTbx3+基底細胞 を誘導すると、創傷治癒を早める効果があることが分かりました(Ichijo et al., Nat Commun. 2017)。妊娠に伴う幹細胞は腫瘍化を誘導せず、出産後には定常状態に戻ります。この性質を利用して、妊娠期の幹細胞増殖や幹細胞を取り巻く微小環境を生体内で再現することにより、低リスクに臓器リモデリングを操作する再生医療・アンチエイジング技術の開発を進めています。
4.呼吸器疾患における細胞運命転換制御
肺胞における主要な上皮細胞であるⅠ型上皮細胞(AT1)とⅡ型上皮細胞(AT2)はその構造や機能が大きく異なります。AT1は肺胞表面積の95%を占め、ガス交換機能を担います。AT2はサーファクタントを内腔へ分泌し肺胞の表面張力を制御する役割を持つとともに、組織幹細胞としても機能することが知られています。肺胞に傷害が誘導されたとき、AT2の幹細胞プログラムがアクティベートされ、細胞増殖およびAT1への分化が誘導されることが知られていますが、その分化途上にある細胞の状態については議論が深まっていませんでした。我々は、シングルセルトランスクリプトーム解析、遺伝子組み換えマウスを用いた細胞系譜追跡、オルガノイド技術を用いて、分化途上にある細胞がAT1やAT2とは区別できる特殊な細胞状態(pre-AT1 transitional cell state; PATS) にあることを突き止めました(Kobayashi et al., Nat Cel Biol. 2020)。さらに重要なことに、PATSは傷害の正常な修復が完遂した後には消失する一方、慢性呼吸器疾患においては消失せずに蓄積されることがわかりました。しかしながら、正常な修復に向かう経路と、慢性化・蓄積に向かう経路の分岐点、つまり細胞運命の転換点の状態とその制御因子が何であるのか、現段階では詳しくわかっていません。現在は、トランスクリプトーム・エピゲノムレベルでの高解像度解析手法、慢性化マウスモデル、革新的肺細胞培養技術などの確立に取り組み、これらを応用して前述の疑問にアプローチしています。
また、慢性閉塞性肺疾患(COPD)を若年発症する原因のひとつであるalpha-1-アンチトリプシン欠乏症の新たな作用機序の解明にも取り組んでいます(Park et. al., J. Biol. Chem., 2025)。
以前の研究
細胞分裂軸を制御する分子メカニズム
多細胞生物の様々な臓器では、細胞がある決められた軸方向に沿って分裂しています。この「細胞分裂軸」の方向制御は、幹細胞の分化や組織の形態形成に必須の役割を果たします。私たちの研究室ではこれまでに、細胞外基質への接着が細胞の分裂軸を決めるメカニズムについて、 培養細胞を用いて研究を行ってきました。まず、接着細胞をフィブロネクチン等の細胞外基質の上で培養すると、 分裂期に形成される紡錘体が基質に対して平行に配置されて水平に分裂する現象を発見しました。この現象は、分裂後に二つの娘細胞が共に基質に接着するのに必要であり、細胞接着因子インテグリンβ1に依存することを報告しました (EMBO J., 2007)。次に、細胞膜リン脂質PIP3がアクチン制御因子Cdc42依存的に、ダイニンモータータンパク質を細胞表層の中央領域に濃縮させ、 紡錘体にかかるけん引力を基質に対して平衡することが分かり、細胞膜脂質と細胞骨格のクロストークが分裂軸を制御することを明らかにしました (Dev. Cell, 2007; Mol. Cell Biol., 2009)。続いて、siRNAライブラリーを用いたゲノムワイドのスクリーニングを実施し、 複数の新規分裂軸制御因子を同定しました。このうち、ABL1は分裂軸制御因子NuMAを直接リン酸化すること、 PCTK1はPKA- MyosinX-インテグリンを介して分裂軸を制御することを報告しました (Nat. Commun., 2012; Mol. Cell Biol., 2015)。さらに、細胞外基質の幾何学情報は、caveolin1を介して、分裂軸制御複合体Gα/LGN/NuMAに伝達されることを明らかにしました(Nat. Commun., 2016)。細胞分裂軸は、幹細胞の対称・非対称分裂の振り分けに重要です。我々は、マウスES細胞を中胚葉と内胚葉へ分化させるin vitro分化系において、分裂軸制御因子であるmInscが転写因子c-Rel依存的に一過的に発現上昇し、中胚様への分化を促進することを報告しました(J. Biol. Chem., 2016)。